美ヶ原高原

車山高原から車で60分
車窓の見事な景色に見とれて
運転をおろそかに、しないように!
美ヶ原高原は、歩かなければ
その美しさと雄大さは、理解できないでしょう。


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美ヶ原高原にある山でも簡単に登れて展望抜群です。 東は浅間の山並み、西には王ケ頭までの美ケ原高原のハイキングコースが一望できる。 美ケ原の北東に位置する標高1,989m、眺望がよい。
牛伏山から王ケ塔を見る 牛伏山から蓼科山と八ヶ岳 牛伏山の下は、美ヶ原美術館です
登りついて不意にひらけた眼前の風景に、しばらくは世界の天井が抜けたかと思ふ 美ケ原牧場は東西4km、南北8kmに及ぶ火山台地高原で牧場 美ケ原牧場の一角に、上部が皿のようにくぼんだ岩がある。昔から牛や馬たちに塩分を与えるために利用された場所。岩の上に置かれた塩を牛たちが、毎日なめ続けたことで岩の上部がすり減ってしまっている。
この光景を見て、思いませんか?美ヶ原高原の牛さん達は、日本一の幸せ者です。柵ぎわに立つと、寄ってきて大きな舌を出して、甘えてきます。
牧草の合間や岩場に咲く高山植物が目を楽しませてくれる。 王ケ鼻とは、断崖絶壁の突端という意味です。 雲の湧く風情のある山々を背景に牛たちが草を食んでいる。360度の大展望を眺めながら歩く爽快感!
美しの塔と王ケ塔 南アルプスです。下で輝いているのが、諏訪湖です。 これこそが美ヶ原です。

  安山岩質の組成を持つ火山が風化浸食され地形と解釈されています。最高峰は、王ヶ頭(2,034m)で、他に、王ヶ鼻(2,008m)、茶臼山(2,006m)、牛伏山(1,990m)、鹿伏山(1,977m)、武石峰(1,973m)といった峰があり、山頂周囲は平坦で広大な台地状の地形で、美ヶ原牧場と呼ばれる牛の放牧地となっています。
  古来、山岳に囲まれた松本平では、西の山並を西山、東の山並を東山と総称し、松本盆地の人々は、美ヶ原を東山または王ヶ鼻と呼んできました。特に、東山方面は、天気を案ずるのに有効でした。「美ヶ原」と呼ばれるようになったは、1921年に木暮理太郎が、日本山岳会の会報『山岳』に登山の記録を載せてからだそうです。

  地球の温暖期の最中の縄文前期には、生活圏が高原上にまで及び、狩猟時代の美ヶ原に、その生活の痕跡を残しています。日本最大の黒曜石産地・和田峠へは三城から徒歩で3〜4時間の距離で、縄文時代、美ヶ原の山麓の入山辺の大和合に黒曜石を運び入れ加工した遺構が発見されています。縄文中期までこの周辺山麓が繁栄し、糸魚川流域から日本海まで縄文文化が栄え、松本周辺はその中心であったとみられています。縄文後期には地球の冷涼化が進行し、逐次低地へ移住しました。しかし、弥生時代以降、水田稲作文化が松本平にも伝播しますが、美ヶ原台地の恵まれた自然の恩恵の受容は続き、狩猟・漁労や植物採集の生業の場であったことには変わりません。また、化学肥料のなかった時代は、「カリシキ」といって草や粗朶を田畑に入れて肥料としました。美ヶ原山麓の耕地からカリシキ材料を山地に求めて、多くの人々が往来した事でしょう。

  8世紀初期、律令制下の当時、信濃には朝廷直属の牧場である勅旨牧(てしまき)、いわゆる御牧(みまき)が16ヵ所あり、御牧を監理する牧監庁(もくげんちょう)が束間郡におかれていました。
  牧監庁のあった束間郡中山に隣接する、現在の入山辺郵便局周辺の美ヶ原山麓・桐原地籍に、桐原牧の伝承があります。桐原地籍は現代山辺のぶどう栽培地帯ですが、牧場としては狭く、桐原は「キリハラ(霧原)」で、桐原から王ヶ鼻直下の駒越集落をたどって、当時「ウツクシ」と呼ばれた美ヶ原台地に放牧したと考えられます。馬を牽いて3時間程度の行程です。 しかし美ヶ原に放牧されるのは5月下旬から11月上旬で、半年は山から降ろし厩での飼育となり、以降、現在の美ヶ原に、より古い「ウツクシ」の名が留まり、「キリハラ」は厩のあった山麓の桐原氏と桐原の地名として定着したのです。
  美ヶ原牧場組合の沿革史では、継体天皇の継嗣・安閑天皇の2年、山辺霧原に馬を放ち、又、義経と木曾義仲の寿永3年の宇治川の戦いで有名な名馬「するすみ」は当牧場に産し・・・と記しています。

  江戸時代には、御嶽山の雄姿が展望できることから、御嶽教の山岳信仰の山ともなりました。1909年に美ヶ原牧場が営まれ、本格的な牧場が開始されました。1930年、頂上に山本小屋が開業し、多くの登山者が訪れるようになり、1954年には、美ヶ原のシンボルとなっている「美しの塔」が、遭難防止のための道標および避難所として建てられました。
  1957年、山頂までの林道が開通し、NHKとSBCのアンテナが王ヶ頭に建設されました。それが今では「美ヶ原」台地の目印になっています。諏訪や上田の各地からそれが確認されます。1981年、ビーナスラインが開通し、美ヶ原高原美術館が開館すると、車で行ける手軽な観光地となりました。
  その直線的に長く伸びる散策路は、高原上の牧場の中を通る未舗装の車道ですが、一般車の通行は規制されています。徒歩2時間程度のコースですが、塩クレ場周辺の放牧牛が寄ってきたりして大いに歓迎してくれます。初夏のレンゲツツジ、盛夏のヤナギラン、晩夏のマツムシソウを代表として、様々な種類の花が6〜9月頃には沿道に咲き乱れます。

  美ヶ原高原は亜高山帯に属する台地です。高山帯とちがって亜高山帯は、自然の遷移により、放置すれば森林化が進みます。かつては美ヶ原も森林に覆われていたのです。平安時代とも江戸時代とも諸説ありますが、大きな山火事 があり、山頂部の森林は焼失し、その後に草原が生まれました。特に馬を中心とした牧畜が盛んな地方では、飼料としての秣を得るため、自然発火と称する野焼きが頻発しました。その草原を地元の人たちが利用して放牧、「カリシキ」や屋根葺き材の入手など 人間生活との必要不可欠な関わりがあったのです。その営みの過程で、長い間草原景観が保たれてきました。現在は、草刈りも野焼きも必要ではなく、放牧地以外 は森林化が進行しつつあります。     このまま放置すれば、現状の美ヶ原の大部分は笹野原ですが、周辺の武石村の山地に見られるカラマツ林、シラビソ林などの森林へと変化するはずです。もともと人間生活との関わりによって出来た人為的な草原のため、人間の手を断ち切ってしまうと、高原独特の広々とした優美な草原景観は失われ、草原 生態系を構成するシュロソウ・ハナイカリ・ウメバチソウなどの多様な高山植物やノビタキ、ホオジロ、カッコウ、イワツバメなどの野鳥、アサギマダラなどのチョウ類などが失われ、アルプスの大展望も不可能となります。